丹下健三との出会い

| 林 |

  それではまず神谷先生から丹下健三との関わりについてお話いただければと思います。

| 神谷 |

  私と丹下先生の関わりはまったく偶然でございまして、私が旧制高校時代のある日、本屋へ行ってパラパラと建築の本をめくっていたところ、この写真にある「広島平和祈念カトリック聖堂」の設計競技の応募案を見まして、この外観と内観がすばらしいと思い、普段は建築にあまり関心がなかったのですが、これを見てぜひ建築家になりたい、突然そういう思いが頭をよぎりました。それで建築学科を受験したわけです。運良く合格しまして、入学第1日目に先生の紹介がありました。その中に丹下先生がおられたので、ますますびっくりして。(笑)

「広島平和記念カトリック聖堂」 外観パース 1948年
「広島平和記念カトリック聖堂」 外観パース 1948年
「広島平和記念カトリック聖堂」 内観パース 1948年
「広島平和記念カトリック聖堂」 内観パース 1948年

| 藤森 |

丹下さんがその中にいるってことを知らなかったんですね?

| 神谷 |

 そうです(笑)。まだ有名ではありませんでした。大学では演習課題が出まして、数課題丹下先生の指導を受けたことがあります。それから、都市計画の講義を受けました。大学院でも教えていただこうと思い、進学しました。 

 

 この「香川県庁舎」の設計に関わるようになったのは、大学院に入ってから3年目。それ以降3年間竣工まで関わらせていただきました。

 最初、設計に取りかかったときには、先輩が何人かおいでになったのですが、ご自分で仕事を始めるために研究室をおやめになり、私が最後まで残ってしまいましたので、設計にかかってから3年間、竣工まで関わらせていただいた次第です。いろんな思い出がありますが、それは後程随時申し上げたいと思います。

 

| 林 |

 ありがとうございました。

 それでは、藤森先生が丹下研究を始められるようになった経緯と、どのように作業を始められたのかということについてお話いただければと思います。

| 藤森 |

 僕は、近代の研究をずっとやっていました。明治から戦前いっぱいの研究をやっていました。その中で昭和10年代の丹下さんのことは、ある程度、資料は集めていましたが、戦後の研究をしようという気はなかったので、やっていませんでした。

 ある縁で突然、丹下さんの事務所から、正確には奥さんから電話がかかってきて、「丹下健三に興味はないか?」と。「それはあります。」と。「仕事を依頼したいのだ」と。事務所に行くと中学生向けの評伝を書いてほしいと言われました。

評伝「丹下健三」 丹下健三・藤森照信著 新建築社 2002年
評伝「丹下健三」 丹下健三・藤森照信著 新建築社 2002年

 僕はこれは勝負所だと思いました。中学生向けもいいけど、だいたい、ちゃんとした研究が一向に丹下さんについてはされていない。 それには理由があって、丹下さんは昔話が大嫌いで、現状が大好きな人ですから、昔話は興味ないからということで、インタビューも断っていたそうです。僕もそれまで、2度くらいしたことがありますが、そのときも1時間ほど時間をとってくれて30分は昔話をする。あと30分は今の話を聞けという条件でやってくれました。

 今回、丹下さんについてはちゃんとした評伝がないので、それをちゃんと書くのが先ではないかと言ったら、丹下さんもその通りだから、そっちを先にやってくれ、全面的に協力するからということで始まった訳です。あの段階で始められてよかったと思います。

| 林 |

 当時の金子正則知事が丹下さんにお願いし、この「香川県庁舎」ができていますが、僕は、当時香川県建築課の技監であった山本忠司が、県庁を退職した後に始めた事務所の弟子です。

 僕のおじいちゃんが大工さんで、父親たち兄弟が工務店をやっていて、大学へ行って建築を勉強してこいということで、法政大学へ入学しました。 

 入学して1週間後、製図室で建築とは何かという概論の授業があった時に、出身を聞かれました。「高松だ」といったら何県だとか、何処だ、とか言われたりするので、「四国の香川」だと言いましたら、「大江宏先生の香川県文化会館があるね」「ああ、そうですか」「丹下さんの香川県庁舎も有名だね。」「知りません。」「イサム・ノグチさんのアトリエもあるね。」「はあぁ」「ジョージナガシマさんの家具を作っている桜製作所もあるね。流政之さんのアトリエもあるね」「・・・」、何も知らなかった訳です。(笑)

 当時、僕が入学したのは1986年。バブル真っただ中で、建築の勉強を始めた訳ですけど、東京に7年いましたが、浮ついた感じが好きになれず、建築という仕事は地方でもできるので、こちらに帰ってきました。

 建築の勉強を進めて行けばいくほど、香川というのが特別な場所だというのが分かりました。香川で仕事をさせてもらうなら、山本先生のところで、ということで山本忠司のところでお世話になりました。

 写真は、香川県の職員として設計した五色台の「瀬戸内海歴史民族資料館」です。そういった関わりのなかで、「香川県庁舎」の話や、丹下さんとのやりとりの話、金子さんの話などを聞いて学んできました。

「瀬戸内海歴史民俗資料館」 山本忠司/香川県建築課 1973年
「瀬戸内海歴史民俗資料館」 山本忠司/香川県建築課 1973年